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| 山田浅右衛門 最後の首切り執行人 |
山田浅右衛門(やまだあさえもん) 初代〜七代目1857〜82 江戸時代、将軍家の刀剣の試し切りと処刑の 執刀を世襲して行った。 「首斬り浅右衛門家」は明暦三年(1657・振袖火事)より 明治15年8月15日(1882)迄, 八代・吉亮で225年の歴史を閉じる事となった。 |
初代浅右衛門は宝永(1700年頃)の人ですので、
江戸初期には左の図の右側の名称が使われていたようです。
中心に斬り落とした箇所の名前が切られている場合がありますが、江戸初期の摺付けは肩の線で肩胛骨(けんこうこつ)などがあって堅い部分ですが、江戸末期の摺付けは鳩尾(みずおち・みぞおち)の部分で、背骨と肋骨の末端しか骨がないので斬りやすい箇所となり、同じ名称でも斬れ味は全然違うことに注意が必要です。
初代山田浅右衛門貞武は、据物斬りの達人であった。
江戸の中期徳川吉宗の時代に浪人山田貞武が「浅右衛門」を称し、
七代目の山田浅右衛門吉利まで「将軍家御試(おためし)御用役」を世襲した家である
(但し、山田吉富が八代目の襲名したという記録もある)。

